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気づき

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 気づきとは何か、と問われると、答えるのが難しい。それは深い体験だからだ。日常的な気づき、例えば働いている同僚の顔色が悪いとか、電球の一つが切れて部屋が暗い、などに気づくには、注意深さと思いやりがあればいいのである。しかし、心の深みで起こる気づきの体験は、ひらめきとか悟りと同じようになかなか訪れない貴重なものなのだ。だが時々は訪れるようである。

 ある詩人の若い頃の話である。彼女はバレエ団のピアノ伴奏のアルバイトに応募して働いていた。専門の教育は受けていなかったが、真面目で熱心な彼女は毎日指を傷めるほど何時間も練習し、渡される楽曲を弾いていた。レッスンに合わせてピアノを弾くのは大変だったが、憧れのバレエの世界に浸れるのは至福の喜びだった。ところが或る日、見学に来た音楽大学の学生が、難曲を初見で見事に演奏してみせ、皆を感嘆させたのだった。

 おそらくその後、ピアノ伴奏者は交代したのだろう。だがこの時、彼女は気づいたのである。素人のピアノを、バレエ団はゆるしてくれていたのだと。美しいバレエに自分は夢中になっていたけれど、一流のバレリーナたちの耳は、忍耐してくれていたのだ。

 よき気づきを得ることができたのは、彼女が謙虚で素直な心でいたからだと思われる。誰かを恨むのではなく、むしろ今まで働けたことを感謝するような彼女の謙虚な心に、静かな光のように気づきが降りてきたのだろう。

 すべての人は許されてこの地上にある。神がゆるしてくださっているのに、どうして私たちお互いがゆるし合わないでいられるだろう。自分自身への反省を込めて、そんなことを思えたのも、彼女のおかげである。これは私のささやかな気づきだったかもしれない。