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気づき

中井 俊已

今日の心の糧イメージ

 「感謝」の反対の言葉は、「当たり前」だと言う人がいます。

 なるほど、今あるものを当たり前だと思っていれば、感謝する気にはなれないでしょう。でも、この世のものは、本当は有り難いものではないでしょうか。

 例えば、水が飲めること。電気が通っていること。道路を車で走れること。寝泊まりできる家があること。これらは当たり前でしょうか?

 突然、大きな震災に襲われ、水や電気が通らなくなり、道路が遮断され、家が倒壊するという経験を、私たち日本国民は何度も経験しています。そういうとき、私たちは普段当たり前だと思っていたものが、いかに有り難いものだったか、痛みをもってわかるのです。家があること、家族がいること、学校や職場があること、仲間がいること、失ってみて痛いほどわかるのです。ぜんぶ有り難いことであったと。

 できれば、失う前に、当たり前の有り難さに気づきたいものです。

 愛する人の命を失うときに、人は命の尊さを痛感します。

 人の命も、自分の命も、無償で与えられましたが、決して当たり前のものではありません。お金や、何物にも代えられないほど価値のあるものです。命だけでなく、体も、心も、時間も......、無償でいただいています。

 私たちは、それほどに価値ある素晴らしい存在なのです。

 私たちの存在も、営みも、起こる出来事も、家族や人様がしてくださることも、一見平凡で当たり前のように思えることがあっても、本当は全部有り難いことなのです。それら一つ一つに感謝すると、自分がいかに恵まれているかに気づきます。感謝すればするほど、日常生活の小さな幸せに多く気づきます。

 神様の大きく慈悲深い愛に包まれていることに気づきます。