新たな出発

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

 「今日はわたしが一番若くて一番年をとった日」というのはよく言われることである。

 この言葉に出会ったのは20代の頃のことで、その頃にはなるほどと思ったくらいであったが、74歳を過ぎた今、心の奥深くしみとうる言葉であると思う。

 生きているのが当たり前ではなく、実は奇跡なのだと思えるからである。

 わたしの周りを見回しても、沢山のゆかりの人々が旅立った。

 一昨年は義妹、昨年は実弟がわたしより若くして旅立った。

 8匹いた飼い猫たちも今は2匹になってしまった。

 命というものはいつかは消えるのだと思い知らされた。

 しかし、わたしは子どもの頃から公教要理を学んだので、身体はほろびても霊魂は永遠に存在すると信じている。

 目には見えないがわたしの周りにはそれらの霊魂が絶えずいて、見守ってくれているのを感じる。

 それらの霊魂は「生きているということは素晴らしいことですよ。一日一日を神様に感謝して悔いのないように生きてくださいよ」と呼びかけてくれているのである。

 そうなのである。朝、目が覚めたら、「ああ、今日も神様が生かしてくださった。今日を新たな出発として精一杯生きよう」と思うのである。

 6年前に大腸ガンの手術をし、現在も以前の体調には戻れずにほとんど家の中で過ごす毎日であるが、生きているだけでありがたいと感謝の日々である。

 体は老いても心までは老いたくない。心は毎朝フレッシュでありたい。

 神さま、どうかお見守りください。

新たな出発

西田 仁

今日の心の糧イメージ

 高校を卒業し、大学生活をスタートする時。医師としての人生を開始する時。独立開業して地域医療を開始する時。子供が生まれて、親になった時。私には、こうした新たな出発の時にいつも大事にしている言葉があります。

 「Ad Maiorem Dei Gloriam(より大いなる神の栄光のために)」。イエズス会の創始者である聖イグナチオの言葉です。イエズス会を母体とする私の母校(中学、高校)の講堂に刻まれていた言葉です。

 私は幼児洗礼でキリスト教信者になったものの、その後全く教会に行かない不真面目な信者であった為、初聖体と堅信をする事なく中学に入学しました。そこで初めて信仰について少し学び、遅ればせながら初聖体と堅信の秘跡に預かることとなりました。この時、代父となってくださった先輩から頂いたお祝いのカードに一言、この言葉と共に「お互いにこれから大事にしていきたい言葉ですね」と書かれていました。中学に入学してから、何度も見て来た講堂に刻まれた言葉でしたが、このカードを頂いた時から私の心に深く刻まれる言葉になりました。この先輩は小児科医としても大先輩であり、今でも私の憧れであり、目標となっている方です。

 この言葉、もとは「Ad maiorem Dei gloriam inque hominus salutem」で「どんなに些細なことでも、それを神の栄光のために努力した時、それは些細でなく、素晴らしいこととなり、あなたの救いとなる」と言う意味だったと思います。格好の良いことを書きましたが、少なくとも私はそう解釈し、先輩からお祝いの言葉として頂いてからずっと大事にしている言葉です。


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