
春は、日本の本当に美しい季節です。気持ちも思わず浮き立ちます。
それにしても、キリスト教徒にとってこの上なく嬉しいのは、主が十字架上で亡くなってから3日目に復活されたということです。その復活祭を祝うのはこの季節なのです。
さて、主が葬られて3日目の朝早く、マグダラのマリア他の女性たちが、主のご遺体に油を塗りに墓に行ったところ、思いがけない事に、天使がいてこう告げたのです。「主は復活され、もうここにはおられない、この事を弟子たちに知らせなさい、主は先にガリラヤへ行っておられる」と。
それで、彼女たちが恐れつつも大喜びで、弟子たちのもとへと走って向かう途中、主イエスが彼女らに出会って「おはよう」と言葉をかけられたのです。(参 マタイ28.6~9)
この「おはよう」は原文のギリシャ語では、「カイロー」という言葉が使われているそうです。意味は、喜ぶということで、その命令形で「喜びなさい、喜んでいなさい」という意味を含んだ挨拶の言葉として用いられるので、ここでは「おはよう」と訳されているのだそうです。日本語になると、少し軽いですかね。ですが、現代でも、挨拶として同じように使われるのだそうです。
私は、主のご復活によって、私達も永遠のいのちに生きる喜びを、信仰によって信じていましたが、今回、この原稿を書くにあたって、たまたまというか、「おはよう」で読み過ごしていたところに、「カイレテ」「喜びなさい」という主の心持ちを改めて見せられた思いがしました。それで、喜びが倍加、何倍かして、喜び踊っていると言いたいくらいなのです。
全く、私達が永遠に幸せになることを、神様がご自分の独り子の命と交換してまで、望んで下さるとは、何という喜びでしょう。

スマホでメールが送られてきました。
洗濯機の上に置かれた紙製の大きな白いバラの花三輪の写真と、「20年間も洗濯をして人生を支えてくれたこの洗濯機が壊れ、それでもぎりぎり昨日まで働いてくれました。頼んでいた新しい洗濯機が今日来ます。有難うと心からの感謝で送り出します」という趣旨のメッセージでした。
「全世界の洗濯機が拍手で退役を送り、私の所の洗濯機もご苦労様と言っています」と早速返信しました。心がジーンとして、コロナとの向き合いで暗くなりそうな心に晴れ間が見え、元気が湧きました。
この白いバラを作り、洗濯機に有難うを言っている人は、中学生の時からの難病を患い、今も週3回の透析治療を受けています。公共交通機関で病院へ通い、コロナ感染者が多数の地域で生き抜いています。
表現が難しいのですが、週3回、自分の血液を体外の機械で洗うわけです。自分の血液をきれいにする為にベットに横になる方の感性がどの様に研ぎ澄まされるのか。
20年間使用した洗濯機への感謝が違いますね。
透析方法は他にもあるとのことですが、腎臓の機能が普通に働く私には分からない境地を日々生きておられます。喉が渇いたからと言って「生ビール一杯」とか「水・お茶」など自由に飲めない生活と聞きます。水をがぶがぶ飲むような生き様とは縁がないのです。
私は、このような水分を思うように取れない人への、思いやりのない生き方をしてきました。
世界規模で水をめぐる環境問題は大きな課題です。人類の多くがきれいな水を飲める状態はまだまだ遠いのでしょう。
先ず水を比較的自由に飲めるこの国の環境とその為に働く方々に、水が飲める迄の過程を教わりつつ、感謝を深めたいですね。