「まなざし」という言葉を私の手許にある広辞苑で引くと、漢字では「目 と 差」、「眼 と 指」と書き、意味は眼の表情、目つき、まなこさしとある。
私は目の表情という言葉に深く心を打たれた。
昔から目は口ほどにものを言うとか、目は心の窓とかいわれる。目を見るとしゃべらなくてもその人の心がうかがい知れることが多い。
先日、テレビを見ていたら、偶然、コルベ神父さまが紹介されていた。その紹介役は『ながさきのコルベ神父』の著者、小崎登明修道士であった。
小崎修道士は、何度かポーランドのアウシュビッツ収容所の跡地をたずね、コルベ神父さまに命を助けられた男性に直接会って話をきいている。
その男性の話として、コルベ神父さまが男性の身代わりになって餓死室へ送られる直前、その男性と目が合った。
その時、コルベ神父さまのまなざしは「何も心配しなくていい、あなたは生き抜いて、妻子の元へ帰ってください」と言っているかのような慈愛にあふれたものであったという。
自分は死んでいくのに、恨み辛みの気持ちもなく、ただたんたんとその運命を受け入れていたコルベ神父さまのお姿やそのまなざしを想像すると胸がいっぱいになる。
どんなにか美しいまなざしであっただろう。
そこで私はまた想像する。
イエズス様が最後の晩餐の時に12使徒に向けたまなざしを・・・。
裏切り者のユダにさえ、きっと慈愛のまなざしを向けたであろうと・・・。
私たち弱い人間は時には神さまのことを忘れたりするが、神さまはいつもやさしいまなざしを向けてくださっていると信じている。