「まなざし」とは、人が何かを見る時に向ける視線のことである。だが単に視線とか目つきというには留まらない、深い意味があるようだ。実際、哲学や文学、特に批評の分野においては、ただ見るだけではなく、見る対象をどのように認識するかという意味合いで用いられている。人は見ることで世界を認識し、確かめながら生きている、ということだろうか。
世界を確かめ、内省しているまなざし。彫刻家舟越桂氏の手による人物像は皆、まさにそのような深いまなざしをしている。聖フランシスコ像は両手を広げ、聖母像は幼子イエスを抱いて、静かな眼差しをやや下に向けている。うつむきがちな姿勢は忍耐を表しているようであり、また自らを省みているようにも見える。もしかすると、訪れた人と目が合うように、像は下を向いているのかもしれない。
「私の目をご覧なさい。私を通って主に近づいていらっしゃい」。そう語りかけるために。この時、まなざしは一本の静かな通路になっているのではないだろうか。
また舟越桂氏の作品には、遠いまなざしをしている人物像も少なくない。過去の時間を甦らせ、彼方の場所を思っている彫像の表情に、訪れた人々は惹きつけられ、 立ち止まってしまう。自分たちもまた、同じまなざしを持ち、思い出や憧れを求めて止まない者であると気づくからだ。
「まなざし」という通路は限りなく開かれる。人間の世界を超えた永遠へ。沢山の課題が積まれた現実の世界へ。そして最も遙かな未知な世界、私たち自身の中へ。
人が遠くに視線を放つ時はどんな時なのか。それを見つけた時、本当の自分自身を知るのかもしれない。