まなざしにはその人の思いがこもっているものです。
教師のとき、授業をしながら、子どもたちのまなざしが気になりました。子どもたちが集中していたり楽しんでいたりする時には、目には輝きがありました。そうでない時は、窓の外に視線が注がれたり、どんよりとした目つきになったりするのでした。
まなざしは、その人の関心を示します。興味がないものを人は長く見ようとしません。興味関心があり、自分の好みであれば、ずっと見つめているものです。
その対象が人間であれば、まなざしには、愛情や好意がこもっていることが多いものです。家族や恋人など、自分が好きな人なら、ずっと見ていたいものですね。遠距離にいるとか、頻繁に会えないとかいう何かの事情で、直に相手に会うことができなければ、代わりにその人の写真を度々見るものです。
これは、イエス様や聖母マリア様と私たちの関係でもあるでしょう。私たちは、教会や教会関係の幼稚園・学校、また家庭でも、イエス様やマリア様のご像やご絵を見て祈ることがあります。個人的にパソコンの壁紙にしたり、スマホの待ち受け画面にして短い祈りを捧げている人もいます。そのようにして、イエス様やマリア様を見つめ祈りたいのです。「あなたをお愛ししています」「どうか私をお守りください」「今日、この仕事を最後まできちんと果たしますのでお助けください」など。
短い祈りであっても、その時のまなざしには、その人の気持ちがこめられています。私たちの慈悲深い神様は、そのような祈りにきっと応えてくださいます。
実は、イエス様やマリア様も、私たちを愛のこもったまなざしで見ていてくださっているのです。