
さあ今日も頑張るぞ~! 目覚めの決心、新たな一日が始まり、新たな出発を迎えた朝。でもその様なことも束の間。何らかのアクシデントから、問題が起きて落ち込んでしまい、朝のあの元気がなくなってしまった、そんな経験をされた方も多いのではと思います。その様な時にはどうすれば良いでしょう。反省はもちろん大切なのですが、ずっと悩まない、前のことを後に引きずらないことは大切でしょうね。
20世紀の初頭を生きた南米・チリの若き聖人、"ロス・アンデスの聖テレサ"がいますが、彼女が修道院に入る前の時、学生時代、寄宿舎で過ごした時の一つの話は、私たちが日々を歩んでいく上での何かのヒントになるかもしれません。
その話のあらましは、先生のシスターがお菓子を下さったけれど、小さかったので口惜しくて捨ててしまった。もう一つ下さろうとしたけれど受け取らなかった。イエス様、こんな卑怯な私をどう思われますか、ごめんなさい、次はもっと良くします。こんなお話。テレサは小さい時から何かあるとかっとなる気質があり、大きくなっても失敗もあったのでしょう。
ありのままの自分を認めて反省し、良くする決心をし、新たに歩みだしていく、テレサのこの動きは新たに歩み出す秘訣の様にも思います。テレサはイエス様に打ち明けましたが、周りの人に打ち明けることで、私たちもこの様にできるかも知れませんね。
自分の姿を謙虚に認め、反省し、良くする決心をし、歩みだしていく。このことが普段の生活の中で出来るなら、良いと思う時も、悪いと思う時もいつも新たに出発してゆくことができるでしょう。今日の新たな出発の歩みの上に、神様の豊かな恵みと祝福があります様に。

「こんなことをしても状況は変わらない」と思えば、何も始める気にならない。「これをすれば、状況が少しでもよくなるかもしれない」と思うからこそ、わたしたちは何かを始めようという気持ちになる。何かを始めるときどうしても必要なもの、それは未来への希望だろう。
だが、どう考えても状況を打開する道筋が見えないとき、自分の力ではもうどうしようもないと思えるときもある。そんなときに、どうしたら希望を見つけて新たな一歩を踏み出せるのだろうか。
わたしはそんなとき、祈るようにしている。「神さま、わたしはもう限界です。ここから先のことはあなたにお任せします。わたしを使って、あなたが道を切り開いてください」と、神の手に自分をゆだねるのだ。すると不思議なことに、これまで心をかき乱していた不安や恐れ、いら立ちの黒雲がすっと消え、いま自分にできることが見えてくる。「先のことを心配しても仕方がない。いま自分ができることに取り組もう」という気持ちになれるのだ。
祈るとき、わたしたちの心に希望が生まれる。どれほど困難な状況に置かれたとしても、恐れず、前に一歩を踏み出す力が与えられるのだ。これは、キリスト教だけに限らないだろう。人間を越えた存在、わたしたちを見守り、導く崇高な存在への信仰を持つ人は、どれほど困難な状況に置かれても希望を持つことができる。人間の目には不可能と思えることを、可能にする力があると信じているからだ。神こそ人間が持ちうる最後の希望であり、神を信じるとは希望を信じるということ、最後まで希望を捨てないということだと言ってもいいだろう。
どんなときにも希望を持ち続ける力、祈り続ける力を身につけたい。