私は、シスターですが、本当の祈りを知りませんでした。それはシスターである私にとっては致命的な事で、知るようになるまでには、ある神父様の熱心な忍耐強い思いやりが必要でした。
祈っているつもりでした。けれど何か、自分でも違う何かがあるような気がして、「祈り」を教えて下さる8日間の黙想に参加しました。毎日面接に行きましたが、神父様の熱心さに逆に反抗的になったり、悔しかったり、祈れてなかったという真実に自暴自棄になり神父様を逆恨みしたり、私の心は荒れに荒れました。1年目は理解できないまま、2年目も確信の無いまま 3年目にやっと慰められ、励まされ、暖められ、優しく癒される祈りがあることを知りました。そんな私に、忍耐強くご指導くださった神父様に感謝の葉書を出しました。
すると、「どうなっていたか心配でしたが、吉報を喜んでいます。誰でもこの方法を身につければ出来るのですが、そこに到達するまでが、なかなかこれまでのやり方だと辿り着けないんです。でもシスターから連絡を受け喜んでいます。祈りが楽しくなるんです、また、次は何をという期待も湧くんです。どうぞ、この祈りを忘れないで下さい。お祈りしています。」とお葉書が届きました。神父様が諦めずに辛抱強くご指導くださった事、心配していてくださった事、一緒に喜んでくださった事が、とても嬉しかったのを覚えています。
私は、神父様の忍耐強い優しさで「祈る祈り」があることを知りました。厳しさの中に隠れている真の思いやりが、人をこんなにも豊かに活き活きとさせるのだと知った出来事でした。思いやりから生まれる育む愛を、私もどんどん大きくしていきたいものです。