▲をクリックすると音声で聞こえます。

思いやり

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

 ある律法学者が「何をすれば永遠の命が得られるか?」とイエスに質問した。

 「全身全霊で神を愛せよ。また隣人を己の如く愛せよ」と諭された。「では私の隣人とは誰か」と再び質問した。そこでイエスが次の例え話をされた。(参 ルカ10・25~37)

 『ある旅人が強盗に身ぐるみ剥がされ、瀕死で倒れていた。そこへ祭司が、また、レビ人も通りかかったが知らぬ顔で道の向こう側を歩き去った。後から来たサマリア人はこの人を見て介抱し、ロバに乗せて宿に運んだ。翌日、宿の主人にお金を渡して「費用が不足したら帰りに払うから」と世話を頼んで出かけた。』

 「さて、この怪我人の隣人は誰と思うか」

 「助けてくれた人です」と答えた律法学者にイエスは言われた。

 「あなたも行って同じようにしなさい」

 聖書のこの箇所を読むと、私はいつも自分の愛と勇気の足りなさに心が痛む。こんな場に出合ったら、私もこの祭司たちのように道の向こう側を通り過ぎるだろうと思うからだ。 

 ところで、この祭司やレビ人は神と人に仕える立派な人とされていた。片やサマリア人は、当時イスラエル人から軽蔑されていた民。それなのに彼は「隣人を己の如く愛せよ」というイエスの難しい教えを実行した。どうしてそれが出来たのか? 

 思うに、彼は信仰篤く、永遠の命を求め、神の慈しみを日々感謝して生きていた。だから常に他者を助けて神に恩返ししたいと思っていた。それで怪我人の痛みに寄り添って親身に世話をすることが出来たのではないだろうか? 

 私も愛である神を知り、永遠の命に憧れる。イエスの教えに救われて今、幸せである。それで神の大きな愛を感謝して受けるだけでなく、周りの人にもっと積極的に尽くして恩返ししなければ!と改めて思う。