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思いやり

中野 健一郎 神父

今日の心の糧イメージ

 私は今、司教秘書を務めており、お二人の司教様と一緒に生活しています。大変なこともありますが、司教様方から大切にしていただいています。そのうちの、お一人の司教様のことです。司教様は自分のことはいつも後回し。いつも笑顔で、人のために駆けずり回り、いただきものを何でも人にあげてしまいます。司教様のモットーは、「キリストのように キリストとともに 与えること」です。

 司教様の霊名のお祝い日に、司教館の夕食でお祝いをする話になりました。でもその日は火曜日。お隣りの小神学校の夕食がカレーの日です。将来の司祭をめざす中高生たちと語らうために、司教様は小神学校に出かける日でした。「司教様すみません。今日の夕食はこちらでお願いします」と言うと、「何のあるとね?」とのお答え。ご自身のお祝いと分かると断られるので、何とかはぐらかして、夕食の場にいていただくことができました。お肉の御馳走に赤ワイン、司教様の大好きなアイスのケーキを前に、司教様は居心地が悪そうでした。その後、翌日の昼食時、司教様はご不在でしたが、かなり豪華なお寿司が出てきました。私はそれを見て、その頃のテレビドラマの中に出てきた、これが、「倍返し」だ、「やられた」と思いました。

 空港へ車でお送りすると、司教様は満面の笑みで、大きく手を振って、逆に私を送ってくださいます。私への司教様の口癖は、「神父様は愛されとるとよ」という励ましの言葉です。

 聖パウロのヘブライ人への手紙にこうあります。「大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです」(5・2)

 今日も司教様とミサを捧げながら、その後ろ姿を見つめる日々です。