20年ほど前のことです。夫はある新聞社の招きで岡山へ出かけました。岡山へ行くならば、どうしても行きたい場所がありました。それは敬愛する作家、吉行淳之介さんのお墓です。
岡山での講演会前日、夫は岡山空港に降り立ちました。新聞社からMさんが迎えに来てくれていました。
夫は彼に頼みました。「岡山に来たならば、敬愛する作家吉行淳之介さんのお墓詣りをしたいのですが。ご案内いただけますか」「そこならよく知っています。吉行家のお墓と我が家の墓は隣同士ですから。」と快諾してくれましたので、夫は念願がかない無事墓参をすることができました。
二人はお墓の話や文学の話で盛り上がり、親しみがわき、初対面であったにもかかわらず仲良くなりました。
翌日、講演会も無事に終わり空港へ向かう車中で、Mさんは「実は、私は釣りが趣味でして、たくさん取れたハゼを焼き干しにしているのです。よろしければお送りしましょうか」と言ってくださって、夫は喜んで受けました。その年の年末、約束通りハゼの焼き干しが送られてきました。10センチから15センチほどの大きさです。その一匹、一匹の内臓が処理され、焼いてカラカラになるまで干してあるのです。
私はどんな味なのかしらと、そのままかじってみました。香ばしくて酒のつまみになりそうです。吸い物のだしにすると、大層上品なだしが出ます。
Mさんと出会ってから20年になります。焼きハゼ干しを送るという約束は、驚いたことに今でも守られているのです。初対面の夫との間に何気なくかわされた約束が、翌年も翌々年も果たされてきました。
私は焼きハゼ干しを見るたびに、まだ見たことのないMさんのことを思い浮かべます。