戦争が終わったあの年、小さいちゃんはいくつぐらいでしたか・・・。
5歳だったわたしは20代の若い母とふたり、地方の小都市の官舎で暮らしていました。父は司政官として南方スマトラ半島に赴任していましたから。
うちの向かいに「大きいちゃんと小さいちゃん」と呼ばれる二人の姉妹がいて、お姉さんが大きいちゃん、妹さんが小さいちゃんというわけです。大きいちゃんはもう大人で一緒に遊んだりしませんでしたが、女学生の小さいちゃんは、おままごとやまりつきなど、よく遊んでくれました。歌もうたってくれました。
「ようこちゃん、わたしの作ったパンよ」
ある日小さいちゃんがコッペパンのような形のふわふわしたパンを大事そうに抱えてきました。
「わーい」。お米やパンなど手に入れるのが厳しい時期でしたから、もう嬉しくて。ところがイースト菌が古くなっていて、そのパンは酸っぱくて食べられなかったのです。「ごめんね。また新しいイースト菌をもらって作るから、待っててね」真からすまなそうに小さいちゃんは言いました。彼女たちのお父さんは軍人で、普通なら手に入らないイースト菌や、お肉の缶詰だのが豊富におうちにあったのです。
でも、新しいイースト菌は間に合いませんでした。
わたしの次の記憶のシーンは、小さいちゃんのお葬式だったのです。
なんで小さいちゃんが死んでしまったのか誰も教えてくれませんでしたから、わかりません。
お棺の中の小さいちゃんは、おしろいつけて赤い口紅をさして眠っているようにしか見えませんでした。
母がわたしをお棺のところへ連れていき、「さあ小さいちゃんにお別れを言って」と囁いたのですが、ちゃんとさよならを言えたかどうか、覚えていないのです。