社会生活での約束事は一般的に契約書を交わし、それに違反すると裁判沙汰になって賠償金を払わされたり、社会的信用を失ったり、大変なことになる。
ところが、どんな約束を破っても、大きな罪悪を犯しても、心から悔いて謝れば、何度でも赦されて天国に招き入れられるという。人間社会では到底あり得ない有り難い人生の大逆転が、神との関係において現実にあることを聖書の学びで知った。裁かず、憐れまれる。何と思いやりのある神か!その憐れみ深い神を「天の父」と呼んで、いのちをかけて宣教したイエス・キリストと、その教えに惹かれた。
万物の創造主である神は、私たち人間を特別に愛し、ご自分のいのちを吹き込んで生きる者とされた。そのいのちは神と共に永遠に生きる喜びと希望、幸せの源泉である。
しかし、人間は所詮弱く不完全な存在で、いのちの与え主である神の存在を忘れ、自分本位に傲慢・強欲に生きる誘惑に人祖が陥って、神との約束を破り、大罪を犯した。
そこで神はこの世の諸々の罪を償い浄める「救い主」として独り子イエスをこの世に賜った。イエスは神の愛のメッセンジャーとして、謙虚に誠実に、病に苦しむ貧しい人々を奇跡で癒やし、分りやすい例え話で迷える子羊の様な人々を良き牧者として正しい道に導き、神の大きな慈愛と憐れみのみ心を布教された。
イエスの神と人への愛に徹したその生き方と教えの数々は、聖書を通して代々新しく、救いを求める人の道標である。
十字架の死から復活し、今も生きて新しいいのちを注いでおられるイエスは、『私は世の終わりまで、あなた方と共にいる。』と約束された。(マタイ28・20)
イエスは約束を必ず守る誠実なお方と信じる私は、何があっても心の奥は平和で幸せなのである。