普段は神仏に頼らないという人でも、結婚となると神社や教会などで式を挙げる人が多い。本人たちの間で約束を交わせば、それだけで結婚は成立するはずだが、あえて神仏の前で誓いを立てるというのは、やはり人間同士の約束だけでは頼りないという気持ちがあるからだろう。人間の心は変わりやすく、どんなに厳かな約束をしても、その約束が何10年も守られる保証はないのだ。
では、神仏の前で誓いを立てれば、その約束は守られるのだろうか。それは、本人たちと神仏の関係次第だろう。わたしはキリスト教の神父なので、式を挙げる前には本人たちに、「今から結婚するこの相手は、神さまが出会わせてくれた人だと確信できますか」と尋ねることにしている。もし神が選び、出会わせてくれた相手なら、たとえ自分の心が変わっても、その相手と添い遂げる以外に幸せはない。「この人は、神さまが出会わせてくれた相手だ」と心の底から信じていれば、どんな困難が夫婦を襲っても、きっと二人で力を合わせて乗り越えてゆけるだろう。神の前で誓いを立てるとは、「この人は、神さまが出合わせてくれた相手だ」と心の底から信じていると、神の前で誓うことに他ならない。その誓いには、人間の思いを越えて、二人を固く結びつける力がある。
神父は結婚しないが、神父になるとき誓いを立てる。神父として生きることが神から与えられた使命だと確信し、生涯をかけてその使命を果たすことを誓うのだ。結婚するにしても、神父になるにしても、選ぶのは人間ではなく神だ。神が選んだものを、人間が変えることはできない。永遠に変わらぬ誓いがあるとすれば、それは、永遠に変わらない神の選びを土台としてのみ成り立つのだ。