子どもの私は心配性だった。物心つく前に両親を失い、人の命のはかなさが骨の髄に染みこんでいたせいか。祖父が病気でもすると、すぐ死ぬ気がして不安だった。大人になっても【命あるものは必ず死ぬ】と諦めの心境にいた。
ところが長女をカトリック幼稚園に入れたことで、天地万物の創り主である神の存在を知った。永遠なる神の創造力は今、この瞬間もダイナミックに働き続けているという。
その神が私達人間を愛するが故に、この世に救い主として御子を賜わった。救い主イエスは神を「天の父」と呼び、その慈愛を人の言葉で語り、病や死を癒やし、私たちの救いのために死んで復活し、新しい命を与えておられる。
つまり死によって滅びる人間が、死に打ち勝ったイエスを信じ、その愛の教えを行うならば、神の永遠のいのちに招き入れられると言うのである。
半信半疑ながら、イエスの愛と力の言葉の奥に輝く光に魅せられた。3か月後、夫と二人の子どもをつれて洗礼を受け、イエスの教えを生きる者となった。
イエスの言葉が真の輝きを増したのは夫の癌告知からである。徐々に衰える夫を只見守るしかないのは体の半分をもぎ取られる苦しみだった。死の絶望の前に、この世のものは何の力もないことを痛感した。祈ることでイエスの言葉が生きて感じられた。
【疲れた者、重荷を負う者はだれでも私の元に来なさい。休ませてあげよう】(マタイ11・28)実際、二人で祈ると心が軽くなり、苦しみに耐える力を得た。神の言葉は生きており、魂を蘇らせるのである。
夫が亡くなって30年。心を込めてイエスに祈ると、この世に居る私も天国の夫と神のいのちの光に包まれて平和な喜びを味わう。これは何とすばらしいことかと感謝の毎日である。