人は色々の不安を抱えながら生きています。
私も考え事をするときは、深大寺植物公園を散歩し、のんびりとベンチに座ります。時々、隣のベンチに、若いお母さまたちが、足元で遊ぶ我が子を見守りながらママ友と悩みごとを大きな声で会話しています。同じ悩みの会話でも、爽やかな雰囲気で話すお母さんもいれば、心配になるお母さまもいます。私も不安、悩みから抜け出そうと努力している一人ですが、なかなか満足できません。
さて人間の歴史を眺めますと、次から次へと物凄い歴史があります。宇宙からの隕石による地球規模の災害、疫病、資源不足問題、津波等の自然災害、戦争、よくも人間は生き延びたことよ、と感動してしまいます。自分自身も、あの厳しい環境をよくぞ抜け出せたなあと、想い出しながら冷や汗をかいていますが、これからの日本社会や国際環境を想うと、どう心がけて生きたら良いのだろうと不安になります。
そんなとき、私をいつも元気づけてくれるのが旧約聖書の「ヨブ記」です。旧約聖書は不思議な書物で、苦しい環境に追い込まれても、逞しく生き延びている人々と出会えます。その生き延びた人々は、苦しい体験の解釈がほかの人と違うのです。不安、怒り、鬱等を悲劇として受け止めてはいますが、破滅への道と解釈していません。ここがなかなか出来ないところです。私なら、ああ、もう駄目だと思うところを、ヨブを初め悲劇の主人公たちは少し諦めているようですが、自分を逞しくしてくれる試練と受け止め、幸福への道と解釈しているのです。
暗いニュースで溢れている今を、どう生き抜くのが最善の道なのだろうと悩むところですが、このヨブが歩む道を私も真似て生き抜こうかなあ、と思索する日々です。