学生の頃、国語の授業で詩を書いたことがありました。自分で決めた『富士山』という題の、〈冬が来れば白くなり/夏が来れば黒くなり〉というシンプルなものでした。その頃は、自分が将来、詩の道を歩むとは夢にも思いませんでした。それでも、ふり返ると、元々言葉を綴ることが好きだったのだと、改めて思います。子どもの頃の私は、課外授業での出来事を作文にして提出したこともありました。先生はその作文を道徳の時間に読んでくださり、皆も興味をもって聞いてくれたものでした。
やがて思春期を迎え、高校生の私はクラスメートの女の子に恋をしました。ですが、意中の人を目の前にするだけで緊張してしまい、ろくに話しかけることもできませんでした。そんな自分の情けなさが身に沁みる日々の後、失恋して、卒業を迎えました。
卒業後、私はノートを買ってきて、言葉にならない哀しみを詩の言葉にかえて綴り始めました。心の鏡を写し出すように綴られた自分の言葉をみた時、私は詩作する歓びを実感したのでした。
数ヶ月後、偶然、宮沢賢治についてのテレビ番組で、新しい時代の詩人に向けて語られていた「日常の出来事や自然界を通して目には見えないエネルギーを感じ取り、未来を生きる人々の幸福を示唆するメッセージを語る役割を願う」という賢治の言葉が強く心に響き、「詩人になりたい――」という私の思いは強くなりました。
その後、最も尊敬する作家・遠藤周作の文学と出逢い、影響を受け、カトリックの洗礼を受けた私は、目には見えない神の思いに耳を澄まし、詩の言葉に変換して、人々へ届ける現在の日々を感謝しています。これからも、人の心に灯のともる言葉を求めて、この道を歩み続けます。