私は八十路を半分過ぎて、体の部品?を補修しながら何とか自立して一人暮らしが出来ることを感謝しています。交通や買い物が便利な環境で家族や友人たちに助けられ、福祉の援助も受けているお陰です。
私のこれからの道は?
この十分な恵みを有り難く受けながら、聖母マリア様の揺るがない信仰と謙遜な心、そして沈黙の徳を見習いたいと切望しています。
幼児期に父と母を失い、人の命のはかなさを感じて育った私は、結婚して長女をカトリックの幼稚園に入れたことから、万物の創り主である神の存在を知り、その神が変わらぬ愛で私たち一人一人を見守って下さっていることに気づいた時、どんなに嬉しかったかしれません。まるで父と母を同時に見出した喜びでした。
マリア様は「救い主の母になる」との神のお告げを「はい」と信仰を持って受けいれてイエス・キリストを産み、神の不思議な救いのご計画を祈りつつ聴き従ってイエスと共に成し遂げられました。聖書には『母は全て心に納めて思い巡らせていた』とだけ記されています。(参 ルカ2・51)
私はマリア様のように自分を無にして神のみ旨と人の言うことを「聴く人」になりたい。特に子どもたちや周りの人に自分の経験を押しつけていたことを反省して黙って祈る人になりたいのです。
神の愛は燦々と降り注ぐ太陽の光のようです。無条件にいつでもどこでも、ふり仰ぐ人の心を照らし、生きる喜びと希望を注がれます。一人一人がかけがえのない存在として神に公平に愛されていることを知ると、私たちの心は深く安定し、前向きに生きる勇気が与えられます。このすばらしい救いの恵みが全ての人に与えられるよう、今や天の母として私たちの願いを神に取り次いで下さっているマリア様に祈り求めています。