私が、高校を卒業した頃の事です。7つ年上の姉が結婚、その後、第一子を妊娠しました。第一子を妊娠した事は慶事でしたが、間もなく、姉は、風邪をひいてしまいました。妊娠中で、風邪薬を服用できなかった事や、胎児の事が心配だった事が重なり、姉は、さめざめと泣きながら幾日かを過ごしました。そんなある日、姉が産婦人科に行くと言うので、私は姉に同伴する事となりました。道すがら、しくしくと泣きながら歩く童顔の姉と、高校卒業したてとは余り見えなかった老け顔の同伴している私とを、道行く人が怪訝な様子で見ていた事が、今は懐かしく思い出されます。
胎内にいた頃からとても大切にされていたこの子が生まれた時、私は幸運な事に、病院に駆けつける事ができました。生まれたばかりの女児は、赤ら顔で、とても可愛く、少しお猿さんのようでした。幼子が無事に生まれた時、親戚一同は大きな喜びに包まれ、姉も、それまでの悲しみが、何処かへ吹き飛んでしまったかのような様子でした。
イエス様は言われました。「女が子供を産む時、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれた喜びの為に、もはやその苦痛を思い出さない」。(ヨハネ16.21)イエス様は、最後の晩餐の席で、御自分が十字架上で亡くなられる時、弟子たちは哀しみに沈む事になるが、その後、御自分の復活によって、その悲しみが喜びに代わる事を譬えて、このように言われたのでした。
イエス様がこの世にお出でになった時、多くの人が喜びました。けれども、イエス様が復活して、永遠の命に誕生する為の道筋を示して下さった時、もっと大きな喜びが世界に広がりました。