私は尊敬できる「人生の先輩」に何人も会った。その中に、九十歳近い女性が一人いる。神様へのゆるぎない信頼と、聖書を愛する心は昔から少しも変わらない。神様の話をするとニコニコして「楽しいわね!」といつも喜ぶ。
私は彼女が体験した試練について、これまで何度も話を聞いた。実際にそばで見たこともある。どれほど大きな苦しみにあっても、彼女はまっしぐらにミサに行った。
ミサは、イエス・キリストの「最後の晩餐」を記念する礼拝だ。記念であると同時に再現でもある。私たちは、そこで二千年前の出来事を再体験する。あの日、食卓でイエスが祈った後、パンを弟子たちに分け与えたように、今は司祭が祈り、私たちにパンを配る。パンはイエスご自身に変化したものだ。このパンをいただくと私たちの霊は力づけられ、神に支えられるのがわかる。彼女は特に苦難の時、ミサにあずかることに慰めを感じていた。
神様は、実に大きな苦しみを繰り返し彼女に与えた。しかし、何度大きな試練にあって涙を流しても、彼女は変わらない態度で聖書を読み、毎日のミサに通った。その姿は他の人の信仰を励まし、希望を与えていた。
私が彼女から学び、見倣いたいと思うことは、神様を第一にすることだ。その後で日常の義務を果たす。すると、神ご自身が私たちのお世話をしてくださる。
私もかつて、精神的に苦しい時期、神様は何度も助けてくださった。想像もしなかった人から思わぬ助けがあったこともある。「ただ神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる」(ルカ12・31)という聖書の言葉どおり、神のお喜びになることを優先すると素晴らしい体験をすると実感している。