「先輩!」と呼ばれて、そのご当人は、決して悪い気持ちはしません。そこには、後輩の先輩に対する尊敬、信頼、親しみ、従順の心が感じられるからだと思います。一方、後輩にとって、先輩は、なにかにつけ、指導を仰げる有り難い尊敬すべき存在。
このような先輩後輩のセンスは、欧米人にはなく、理解できない。その心を伝えるには、英語だと、"より年寄り"を意味するseniorという言葉を当てるのが適切とされています。しかし、先輩後輩は、ある物事にどちらが先に経験し、リードしたかによって上下が決まり、年輩者が後輩となることもザラです。
この年功序列は、日本社会のあらゆるところにみられ、閉鎖的な印象を与えています。日本語には、全く知らない人に対する挨拶言葉がありませんが、この閉鎖的な言動の根源は興味ある課題です。
英語には、Hi!(ハイ)、スペイン語だと¡Hola!(オラ)とか、挨拶語があり、インスタントに友情が可能。一方、先輩後輩は、インスタントではなく、経歴に何らかの相互理解と認識があり、初対面から、後輩は先輩に重厚な敬意と服従の念をもって接します。
人間は、常に先人の知恵と教えを仰ぐべきで、すべての第一歩は「先輩に倣う」ということ、そして、だれかに、どこかに入門というのが常道です。その「究極」、その「極致」は、「帰依」(「帰命』)するという、人間が求めて止まない崇高な境地であります。
輝かしい人生のゴールを目指す人々の一面を示唆しているように思われる聖書の言葉、「後の者で先になる者もあり、先の者で後になる者もある」(ルカ13・30)が思い出されますが、よりよき人生の先輩に多く巡り会い、天意にかなった終着点にだれもが到達することを願って止みません。