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先輩に倣う

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 神父にもいろいろな人がいるが、すべての神父に共通していることが一つだけあると思う。それは、神に自分のすべてを捧げ尽くしているということだ。生き方はさまざまだが、どの神父も顔はまっすぐに神の方を向いている。

 たとえば、こんなことがあった。出張で、東京の大きな修道院に泊めてもらったときのことだ。受付で鍵をもらって部屋まで行くと、中でせっせとモップをかけている人がいる。「すみません、掃除が間にあいませんでした」と言いながらこちらを振り返ったその人の顔を見て、私はびっくり仰天した。かつては世界を股にかけて大活躍していた、ある高名な神父だったのだ。「自分でやりますから、神父様はそんなことをなさらないで下さい」と私が言うと、その神父は静かなほほ笑みを浮かべながら、きっぱりと「これがいまの私に与えられた使命ですから、わたしにやらせて下さい」と答えた。高齢で引退してからは、その修道院の部屋の管理を任されているのだという。

 その神父が大活躍していたころ、いつか自分もあんな風になれるだろうかと彼に憧れていた。だが、この言葉を聞いたとき、私の思いはただの憧れから深い尊敬に変わった。この神父は、自分の栄光など一切眼中にない。ただ、神から与えられた使命を全力で果たしているだけだと、はっきりわかったからだ。その神父の顔には、ただ神にすべてを捧げ尽くした者だけが持つ清らかさ、すがすがしさが宿っていた。

 かつてマザー・テレサは、「私たちは、神から与えられた使命を果たしては去ってゆく、神のしもべにすぎません」と語った。自分のことなど一切考えず、ただ神から与えられた使命に全力を尽くす神父、神に自分のすべてを捧げ尽くした神父に私もなりたい。