いつも生き生きとしている神父さまを知っています。顔が輝き、笑顔は子どものようです。ミサの前も後も、必ず聖堂で祈っておられる姿は素晴らしいです。
お説教では「私たちは世界で一番幸せです。神さまに愛されていることを知っているからです。神さまは頑固親父のようではない。優しい優しいお父さんです。このことをみんなに分かち合いましょう」、「最近、よかった出来事はなんでしょうか。それは偶然ではなく、神さまがしてくださったことです。感謝しましょう。恩知らずにならないように」とよくおっしゃいます。こういった言葉は私の胸の中に消えずに、まるで温かい小鳥のように住んでいます。
実は、私たちに起きている状況は、神さまが特別なよいご計画をもち、たとえ苦労することがあっても、結果が最善となるようにはからってくださっているものです。私たちは不満に感じるとき、その状況を神さまの元にそのままもっていくといいのです。そして「あなたは、私がこの状況でどのようにふるまうことをお望みですか」と聞きます。くり返し神に聞き、祈るうちに私たちの心は変化します。
「どうしても、このようにしてください。そうでなければ困るんです!」と神さまに指示する祈りではなく、何が最善の結果となるかをご存じの神、愛と慈しみしかないこの方に「あなたは私のためにこの状況が益となる方法をご存じです。私はどう行動すればいいですか」と信頼に満ちた祈りを捧げるなら、不満は消え、晴れやかになり、生き生きとした人になっていけるでしょう。
私はちょうどこれを最近経験したばかりです。