今年は、全世界を新型コロナウィルスという見えない闇が覆った。
このような日が来るのではないかと怖れていたが、やはり起こった。
今までわたしは、何を考えて生きてきたのだろう。長い年月、全世界がどのようなことになっているか、痛みを感じてはいなかった自分が腹立たしい。紛争地帯での人びと、飢餓、森林伐採、動物の捕獲......、数え上げればきりがない。映像や写真などを見てはいたが、主イエスが抱かれた真の憐れみの意味、「腸が引きちぎられるような共感」からはほど遠く、単なるかわいそうな人たちで通り過ぎてきてしまった。
以前、雨宮慧神父の講義を聴いた時に、人間にとって一番誘惑となる言葉は何かと聞かれたことがある。雨宮神父は「有名になりたい」ということだとおっしゃった。さらに続けて、この言葉は聖書のどこに書かれていると思うかと言われたが、答えられる者はいなかった。
しばらく沈黙があった後、この言葉は、バベルの塔を建設している時の言葉だと言われた。その言葉は「創世記」11章にある。要約すると、世界中から人が集まってきて平野を見つけ、そこに住み着いた。そこでレンガとアスファルトを作った。その次に「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」という言葉が出てくる。このあと、主は彼らの言葉を通じなくし、そこから全地に散らされた。
「有名になる」という言葉にとりつかれたら、これは悪魔や悪霊の罠にかかりやすい。
神様がわたしたちの住む世界をどのように創られたかを思い起こし、次の世代が幸せであるようと願い、たとえこの感染症が収束後も、また何が起こったとしても、全世界の人びとと心を一つにして闘っていきたい。