今から30年以上も前のことです。将来、神父になることを夢見て、大学で神学の勉強を始めたころの話です。
頭をひねりながら、何とか理解しようと大学の授業についていっていた時のこと、ある本と出会いました。ぱらぱらと本を開いていたところ強烈な言葉に出会いました。
それは、自分が信じてきたことをひっくり返すほどのインパクトがありました。自分は神父への道を歩き始めたばかりなのに、それを否定するような言葉だったのです。
私はとても落ち込みました。歩き始めていた神父への道をあきらめようか、どうしようか、と。
そんな時、別の大学に進んでいた中学、高校の同級生にこの話をしてみました。特に、返事は期待していなかったのですが、自分の胸の内を語りたかったのです。
すると、彼はこう言いました。「自分は、キリスト教を信じることができないけれども、それを一生懸命信じている森田君はすごいと思うよ」
その時、私ははっと気づきました。信じることの大切さ、信じることの力に改めて気づかされたのです。理屈があって信じるのではなく、ただ信じること、信じ続けることの大切さを悟らせてくれたのです。
信仰とは、説明や理屈が先行するのではなく、神さまからの無条件の愛に気づき、それに対して、素直に信じて応えることなのでしょう。
この一言は、その後、自分自身が落ち込みそうになった時に、繰り返し思い起こした言葉でもあります。その後の私の信仰を支えてくれた言葉でもあります。
理由や理屈抜きにただ信じること、信じ続けること、そこに信じることの本当の力が現れてくるのだと私は思います。たとえ、それが他人から見て、とても小さなものであったとしても。