夏の思い出

古川 利雅 神父

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 夏の思い出。皆さんにはどの様な思い出がありますか。

 とても印象に残っている思い出は、子どもの頃に行った、伊豆半島の夜。民宿の近くの小道、街灯もなく、空は黒々としており、見上げると沢山の星。暗闇の中で星に包まれている...という都会では見ることのできない光景に圧倒されました。

 そして神学生の頃の夏休みの山登り。富士山に次いで日本で2番目の標高の、南アルプス北岳での思い出。山頂の見える山小屋に泊まった真夜中、そっと起きて小屋の外に出ると、あたり一面にきらめく星々。そこは都会とは違って空気が澄んでおり、標高は3000メートル。天に近いこともあって、こんなに星もある...と驚くほどの沢山の星が見えました。

 そして夜明けの時、富士山などの山々が黒いシルエットで見える中、太陽が昇って来る。やがて辺りは光に照らされて、明るくなり、朝が訪れる...。日が照って段々に暖かくなる。これも素敵な思い出でした。

 夜空に輝く星々、シルエットで見えた高い山々、足で踏みしめている山頂の大地...。その時のことを今、一つ一つ思い出しても、これらはどうして存在しているのか、どの様に創造されたのか、誰がお創りになられたのか。存在や創造、そして創造された神について自然と想いが巡ります。

 壮大な自然の中に身を置いて、自然に触れ、自然を感じ、自分を眺める時、日常の様々な事柄から解放され、心を広げ、休ませることができるでしょうか。この夏、私たちの世界や私たちの存在について、創造について、創造された神について想いを馳せ、想いを巡らす。そんな時を持たれてはいかがでしょうか。

 その様な夏のひと時が、神様からの祝された時、神様との出会いの時となります様に。

夏の思い出

シスター 山本 久美子

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 海の近くで育った私は、思春期を迎え、人生の目的や生きる意味を考え始めた頃、夏の夕暮れ、開け放った窓から聞こえて来る波の音を聞き、入って来る爽やかな自然の潮風にあたりながら、一人、物思いにふけるのが大好きでした。そんな時、自分の心に自然に起こってくる心の想いや感情を、日記のようにノートに記したり、手紙を書いたりするのが私の日課でした。

 今、思い出しますと、あのノートや手紙は、私の心の神様への手紙、祈りだったように思います。自然の恵み、海と潮風を感じ、潮の香りに包まれ、本当に心地良く、心が満たされる時でした。特に文才があったわけでも、国語が得意だったわけでもありません。作文は苦手だと思い込んでいましたが、その時は別でした。自ずと心から溢れ出る言葉でペンを走らせるような体験を度々しました。

 ともすれば、学校の成績や評価、外観や容姿等、他人との比較の中で人間の価値をはかり、なかなか自分にも自信が持てずに悩みがちだった私にとって、本当に神聖で尊い時間でした。その時間が、私を、自然に自分を包み込んでくださる何か大きないのちの存在に向き合わせ、導いてくれたように感じます。

 こうしてふり返っているだけで、今も、味わった想いや感覚が、不思議に私の中によみがえってきます。そして、些細なことに傷つき、辛くて、思い悩んだ時期がいとおしくも感じます。

 詩人リルケは、「秋の日」という詩歌の中で、夏の日をふり返って、「偉大な夏」と歌いましたが、私も、あの夏の時間は偉大だったと感じます。神様の大きな計らいの中で、創造主なる神様に語った偉大な夏の日に感謝と賛美を捧げたいと思います。


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