夏の思い出

植村 高雄

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 数々の人生の思い出が、これからの私の人生を良い意味でも悪い意味でも変えていくなあ、としみじみ思います。

 過去の思い出の解釈を間違えますと、現在と将来の人生を輝かしいものにしたり暗いものにしたりします。つまり体験の解釈が人生を変えるというお話です。

 忘れられない夏の思い出があります。それは昭和20年8月15日の玉音放送です。神奈川県葉山町で、小学3年生だった私は、昭和天皇の玉音放送を聞きました。夏の暑い日で庭の裏山でアブラゼミが激しく鳴いていて、大勢の大人達は防空壕堀をしていましたが、その玉音放送を聞きながら大声で泣いている風景を、今でも忘れられません。

 この風景は、新潟県の山奥に疎開し、その後長岡の高等学校を経て東京の大学に進学しましても、いつも頭から離れない夏の思い出の一つです。

 私達家族の人生も急変し、高校時代という青春まっさかりに生きていましても、私の心の奥底に何となく人生の虚しさがあり、生きる希望が無いという思いに支配されていました。

 そんな虚しい青春を元気づけてくれたのが、ドイツ人の神父さんでした。洗礼を受けるまで、その神父さんに質問攻めをして困らせていましたが、不思議な神様を少しづつ知り、その神様への信頼感が増してくるにつれて、私の心は明るく元気に爽やかに変身していきます。

 

 この神様を知ったことによって、私の心がとにかく明るくなりだし、生きる希望が出てきたのです。周囲の風景が暗いものから明るいものに変化していく理由は今でも分かりませんが、日々、湧き出してくる感情がとても爽やかなのです。

 この変化の源、私の人生を大きく転換させたのは、あの8月15日の夏の思い出だったのです。

夏の思い出

越前 喜六 神父

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 わたしは、東北の山国に生まれ、育ちましたので、夏の思い出といえば、山しかありません。

 最近は海も好きになりました。以前、3月にイスラエルを旅行した時に、最後に地中海に面したヤッファの町の喫茶店で、美味しいお茶を飲みながら、紺碧の色をした地中海と真っ青な空を眺めていたら、すっかり海が好きになりました。

 それはさておき、わたしが30代の頃、夏の休暇で富士河口湖町に2週間、滞在したことがあります。そこでの思い出は、何といっても目の前に聳える富士山を毎日眺めて過ごすことでした。

 ある時、ここにいれば、富士山に登るしかないだろうと考え、計3回登りました。その当時は、まだ頂上に測候所がありました。3回登ったうちの特に思い出深い体験をお話ししたいと思います。

 当時、富士山の5合目には、宿屋もありましたが、大澤という、昔の噴火で陥没した跡の近くに"峠の小屋"という休憩所があり、軽い食べ物や飲み物を売っていました。お昼頃、友人と2人で休息していましたが、外に出ると、頂上が目の前に迫って見えました。

 そこで、何の分別もなく、そのまま登って行ったら頂上に着くように感じました。それで友人を誘い、普通の恰好のままで登りはじめました。むろん道のない、火山灰の固まった岩や砂があるだけで、登りにくいです。それに午後になると、雲が現れて頂上を覆うので、前も見えません。下山しようと振り向いても、8合目くらいまで登ったので、急な絶壁に感じられ、怖くてこれでは上に登るしかないと頑張って、とうとう3時間で頂上に辿り着きました。頂上からの絶景はワンダフルでした。

 途中、怖かった時には、「神さま助けてください」と祈りつつ登り、助かりました。


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