夏の思い出

片柳 弘史 神父

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 自然災害によって心に傷を負った子どもたちのために、阿蘇で行われる夏のキャンプに、わたしも宗教家として毎年参加している。プログラムの中で子どもたちに一番人気があるのは、大草原の中を馬の背に揺られて散策する「ホースライディング」だ。わたしも1度、子どもたちに混じって乗せてもらったことがある。

 馬の背にまたがってまず感じたのは、馬の温もりだった。命の温もりといってもいいかもしれない。その温もりに身を委ね、見渡す限り広がる緑の草原を、さわやかな高原の風に吹かれながら進んでゆく。はじめはちょっと怖い気もするが、怖さはすぐに消え、あとには馬への信頼だけが残る。まさに大自然と一体になる体験と言っていいだろう。牧場をぐるりと1周して戻って来る頃には、心も体もすっかりほぐされ、うきうきと歌いたくなるような喜びが心を満たしている。大自然とつながった喜びと言ってもいいかもしれない。馬の背中の温もりが、大自然の命と、わたしたちの命をつないでくれたのだ。

 大自然の命とつながって生きる。それは、人間の本来のあり方なのだろう。街中で暮らしていると、そのつながりが少しずつ薄れてゆく。自分が大自然の命に守られ、生かされていること、自分も大自然の命の一部であることを忘れてしまうのだ。その結果、わたしたちの心は喜びを失い、孤独や不安、恐れにむしばまれ、次第に力を失ってゆく。そんな気がする。すべての生き物の中に宿り、すべての生き物に力を与える、人間の想像をはるかに越えた大きな命。それを神と呼んでもいいだろう。夏のキャンプは、大自然との交わり、神との交わりを取り戻し、人間本来の姿を取り戻すための絶好のチャンスなのだ。

夏の思い出

崔 友本枝

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 昨年の夏西日本を襲った豪雨は、水源の川を氾濫させて、多くの地域を水不足にしました。猛暑の中で渇きに苦しむ人たちのことを知っても交通機関はマヒして物資を届けられず、私たちはひたすら祈りを捧げました。

 広島に住む私の親しい友人は、普段から思いやりのある人でしたが、この辛い時期にもそれは変りませんでした。自分のわずかな水を教会に持って行って分けたり、給水所まで行けずに困っている人を車で送り届けたりしました。

 神さまは、そのような親切をみな見ておられたのでしょう。思わぬプレゼントを受け取るように計らってくださいました。水を求めて車を走らせているときに、ふと思い出して、先日行った給水所に行ってみると、本来は違う地域には配られない飲料水をいただいて喜んで帰りました。さらに、別の日には、スーパーに行くと店頭に1本も並んでいなかったペットボトルがタイミングよく到着しました。客が殺到する中で、店員は、なぜか見ず知らずの彼女に2リットルの水が6本入ったケースをひと箱売ってくれました。もちろん彼女はそれを独り占めせず、家に持ち帰って他の人と分かち合いました。

 このような話は、聞くのと実際に体験するのとでは雲泥の差があるものです。最も大変な時期は、朝目が覚めると「今日はどうやって水を手に入れよう」とまっ先に考えるほど辛かったのです。私たちの想像を超える苦しみの中で他の人のことを考えられる美しい心に私は胸を打たれました。

 友人は3年前に洗礼を受けています。きっと神さまの力が彼女の中で働いたのでしょう。この話はお母様から聞いたことですが、心に残った夏の思い出です。


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