夏の思い出

岡野 絵里子

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 子ども時代の夏の思い出は?と聞かれて真っ先に思い浮かぶのは小学校の頃の夏休みの宿題である。中でも、絵日記には色々な思い出が甦る。

 私の家庭では、大人と子供の区別をはっきりつけていて、食事の献立も違っていたし、旅行も大人だけが行き、子どもは手伝いの人と留守番をしていた。旅行や行楽に行かなくても子どもは充分楽しく過ごせて、特に不満はなかったが、絵日記に書く材料がないことには困った。私は金魚鉢の水を替えたことや西瓜を食べたことなどを書き、それ以上はもう材料がなくなってしまうのだった。

 ところが或る年、近所にある大きな川の河川敷から、花火が打ち上げられることになったのである。子どもにとって、これは素晴らしい出来事で、昼間のうちから、嬉しくてはしゃいでしまうほどだった。そして更に嬉しかったのは、両親が家にいたことで、その夜は、家族皆で家から花火を眺め、楽しんだのである。

 笛のような音に胸を躍らせていると、間もなく巨大な火の花が美しく空に開く。少し遅れて大きな破裂音が聞こえる。花火は様々な色の菊の花になったり、滝のように流れたりして、夜空に広がり続け、いつまでも見飽きなかった。

 母は幼い妹を抱っこしており、家族が一緒に同じ方向を見ていた。それがとても貴重なひとときだったことが、両親が亡くなってしまった今ではよく分かる。私たちが見ていたのは、華やかに開いては儚く散って消える、人の一生のようなものだった。そしてそれは本当に美しかった。

 ただ、その日の絵日記に何と書いたかは、不思議なことに、思い出すことができない。

夏の思い出

服部 剛

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 私にとって、小学校時代の野球部での経験は、今なお大事な思い出になっています。休日や放課後の練習以外にも、希望者は監督の家に集まっては練習をして、私もずいぶんバットを振りました。その名残が現在も手の平にマメとして残っています。私は控え選手ではありましたが、このマメは私の誇りです。

 高校時代に甲子園大会に出場したことのある監督は、子供達にまじって練習試合に出ては打席に立つと、小学校の屋上を越えてゆくほどのホームランを打ったりしたものでした。5年生の時、地元の大会でチームが優勝して、喫茶店で行われた祝勝会では、監督が子供達一人ひとりに愛情のこもった手紙を読み上げてくれた場面が、心に残っています。そんな人間味のある監督を私も信頼し、試合中、ベンチから仲間と共に声を張り上げてチームの雰囲気づくりに努めていました。

 小学校を卒業して5年ほど経った頃、監督が体調を崩したらしいと、風のたよりで聞いていた私は、偶然、電車で監督と奥様に出会いました。私を見るなり、「大人になったねぇ...」と感慨深げに目を細める監督の顔色は、確かに優れないものでした。監督が亡くなられたのはその数年後で、まだ50代の若さでした。

 それから10数年、今思えば、当時の練習が辛い時もありましたが、子供の私たちが監督を慕い、それぞれが自分らしく活躍できた楽しいチームでした。

 ギラギラとした日射しの中、日焼けした甲子園球児が汗を光らせ躍動する真夏は、そんな監督とチームの思い出が記憶に甦ります。

 監督は私を「ハッちゃん」と呼んでいました。目を閉じると、不器用な控え選手だった私の傍らで共にジョギングしてくれた監督の声が、今も聴こえる気がします。

 〈ほら、ハッちゃん、ガンバレ!〉


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