「夏の思い出」と聞くと、子どもの頃を思い出します。身体が弱かった私のために、毎年、海水浴に連れて行ってもらっていました。それは、始発の普通列車に乗り込み、六時間ほどかけて日本海沿岸に向かうものでした。
こののんびりとした列車の旅も楽しみの一つでした。トンネルに入るたびに歓声を上げ、時には、うつらうつらとうたたねをし、列車の中で朝ごはんのおにぎりをほおばり、と、過ぎていく時間を感じさせないほど、楽しいひと時でした。
都会とはずいぶん違う田舎の町に降り立ち、まるで地元の子どものように真っ黒になって海水浴を楽しみました。時には、山々に囲まれた田んぼが広がる道を、大きな入道雲を眺めながら、歩いたこともありました。風を体いっぱいに受けて、セミの大合唱の中を歩いた思い出です。
ある時には、地域の盆踊り大会に遭遇しました。見よう見まねで盆踊りを一生懸命に踊り、上手に踊ったら、やぐらの上に乗せてもらえるものと勝手に思い込み、慎重に、丁寧に踊ったのを覚えています。
この海水浴の体験は、子どもの頃の貴重な思い出の一つになっています。それは、自然と親しみ、人々と触れ合った貴重な思い出です。知らず知らずの内に、自然の美しさ、雄大さに触れ、そして、人々の温かさに触れていたのだと思います。
この自然と触れ合う体験は、今日まで続いていて、年に一回の南の島を訪問することにつながっています。自然の中に神さまを見つめる旅です。また、人々の温かさに触れた体験は、今のカトリック神父としての私のあり方につながっています。多くの人たちの祈りと善意によって、今日の私があるのです。
「夏の思い出」は、今も、この私を活かし続けています。