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平和を考える

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 15年ほど前、或る同人誌の編集を手伝っていた頃のことである。大きな詩の同人誌で、毎号100人以上が作品を寄せていたが、或る時送られて来た一篇の中に、こんな一節があった。「地球上では、常にどこかで戦争が行われていて、なかなか無くならない。だが、好きでやっているわけではないのだから仕方がない。」

 当時、私はやたら潔癖な未熟者だったので、この戦争を容認するかのような言葉に、強い怒りを覚え、作品をお返しした。自分より年長の方だったので、丁重なお手紙を添えたが、それでも、掲載を拒まれて、その方はかなり立腹された。私は譲らなかったので、最終的に、理解して下さるまでには時間がかかった。

 若気の至りで、失礼があったことだろう。今となっては反省するばかりだ。確かに戦争とは、理不尽に巻き込まれてしまうものである。しかし、表現の自由に恵まれた者には、反戦の声をあげる責任があるのだとも思う。なぜなら、反戦を叫ぶことができるのは、平和な国の人間だけだからである。戦時下にある人々は、発言すること自体が難しいだろう。平和のために働き、傷ついた人々を思いやる仕事は、平和な国の人間に任されているのではないだろうか。

 私たちは一つの国の人間であるのと同時に、一つの心の住人でもある。国家間の争いを終わらせることは、一個人には無理でも、心という国なら平和にできそうである。心という国には国境がない。人の望みが続く限り広がっていく。身近な人々に思いやりを忘れないだけで、どれだけの平和がそこに生まれるだろうか。暖かい平和を贈り合いたい。まずそこから始めていきたい。15年たって、反省と共にそう思う。