「平和」について考えると、まず戦争やテロの悲惨な状態が絶えない世界の現状が頭に浮び、やりきれない気持ちになります。個人レベルでも権力争いやねたみ、憎しみ、いがみ合い、果ては殺人、と不幸の連鎖に陥る様を見せられます。それは大昔から全く変わらない人間の業のようなもので、どうしようもないことなのか・・・と、半ば諦めたくなります。
しかし、それではいけない、何とか皆が仲良く平和に、幸せに暮らせるようにと、我が身を捨てて迫害にもめげず挑戦する人たちがいます。本当に尊敬すべき人たちです。
そうした人たちの中に「アシジの聖フランシスコ」という方がいます。800年も前の人ですが、彼の精神を表した「平和を求める祈り」は、まさに今の世に「真の平和」をもたらすために必要な指針を私たちに教えてくれています。
『主よ、私をあなたの平和の道具にして下さい。
憎しみのあるところには、愛を
いさかいのあるところには、ゆるしを
分裂のあるところには、一致を
絶望のあるところには、希望を
悲しみのあるところには、喜びを
闇のあるところには、光を
もたらすことができますように。
主よ 慰められることよりも、慰めることを
理解されることよりも、理解することを
愛されることよりも、愛することを求めさせてください・・・・・・』
国同士でも個人同士でも、争いは相互の理解と思いやりの欠如、信頼関係の崩壊から生じます。人間の業の克服は至難の技ですが、結局は一人ひとりが受身ではなく、能動的に相手を理解しようと努め、友愛の絆を育てて心安らかに生きることを心がける。そうした日々の積み重ねが、世界平和の核となるのではないでしょうか?