夏の思い出

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

 オサムちゃんの家と隣の家の間の狭い空き地が子どもたちのリビングルームになっていた。とくに夏には、ブドウ棚があり、風の通り道にもなっていて、気持ちの良い風が吹いていた。

 オサムちゃんは2歳ぐらいで、まだ口が回らなくて自分のことをチャムと言った。それで子どもたちは皆、親しみを込めてチャムくんと呼んでいた。チャムくんの母、シゲさんは、小学校の先生をしていて、子どものための本がたくさんあった。シゲ先生は、窓を開けて他の子どもたちの手の届く範囲に本棚を置き、集まってくる子どもたちに惜しげもなく、本を貸した。幼稚園から小学校の6年生までの子どもたちがいつも7~8人はいた。この空間で子どもたちは、リンゴ箱やみかん箱に座って、本を読んでいた。

 チャムくんは何をしていたかというと、窓際の本棚の近くから、ニコニコ笑って見守っているようだった。子どもは自分のものを貸すのは嫌がるものだが、チャムくんはおおらかだった。

 ある日、私は米沢のお寺にある「見返り阿弥陀」の冊子を見つけて、不思議な仏様だと思って読んでいた。すると夕方、シゲ先生は「見返り阿弥陀」の資料をたくさん、私の家に届けてくださった。

 今の世の中では、公園でも図書館でも、子どもが一緒になって遊んだり、勉強をするところをあまり目にすることがない。あの夏の日々、子どもたちは、宇宙の本、恐竜の本、伝記、世界文学全集などを、まったく自由な心で選んで読んでいた。

 不思議な立ち位置にいたチャムくんは、その後、障害のある子どもたちの先生になり、結婚をし、2人の娘に恵まれ、やがて校長先生になった。そして今は、障害のある子どもたちの先生を養成している。

夏の思い出

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

 夏に自動車を運転していると、熱い太陽の下、一生懸命働いている道路工事の方に出会います。「暑くて大変だなあ」と思いながら、若い頃は面白い体験をさせてもらったなあと思い出しています。

 私は東京の学校に進学したのですが、その年は実家の京都に帰って、クラブ活動の合宿代を稼ぐためにアルバイトを考えていたのです。でもよいアルバイトはありませんでした。それで父に頼んで遠い親戚の工務店で働くようになりました。

 はじめは木材の移動です。その後、一人の親方について、小学校の階段の踊り場の補修工事の助手をすることになりました。親方が空気ドリルでコンクリートを壊す中を、コンクリートの破片を掃除する仕事です。

 順調に仕事が進んでいると思われたそのとき、スポッという音がして、空気ドリルのホースが暴れ始めました。ホースだけだと柔らかいのですが、端に鉄のねじがついていて、当たったら大けがだと、私はすぐその場から走って逃げてしまいました。そのとき親方が何かを言ったのですが、私には聞き取る余裕すらありませんでした。その後親方が空気ポンプのエンジンを切って、にこにこしながら私のところにやってきて、「お前逃げるの速いなあ」と言ったのです。実は圧縮空気を送るホースとドリルとの接合部が抜けて、ホースがまるで蛇のように暴れたのです。親方は大声で空気ポンプのスイッチを切れと叫んだのですが、私はその場から逃げてしまっていたのです。親方を見捨てた、そんな気持ちが私の中に起こりました。

 それから一ヶ月、あの時、叱るのではなく笑って見逃してくれた親方の優しい心が深く身に染み、人間として大切なものを感じることができた、貴重な夏の思い出です。


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