「ありのままで愛されるためには、ただ心を開くだけでいいのです」。自分など神から愛されるに値しないと思い込んで嘆く人たちに、マザー・テレサはそう語りかけた。神は、弱くて欠点だらけのわたしたちをあるがままに受け入れて下さる。愛されるために、いまの自分と違ったものになる必要などないというのだ。
何か大きな失敗をしたり、思った通りの結果を出せなかったりすると、わたしたちはつい「こんな自分ではだめだ。誰からも愛されるはずがない」と思い込んでしまう。何かを成し遂げ、結果を出したからこそ愛されるのであって、何も出来ないなら愛されるはずがないと考えてしまうのだ。
だが本当にそうだろうか。子どもが失敗ばかりしているとき、親は子どもを愛するのを止めるだろうか。むしろかえって、そんな子どもをあわれみ、愛おしく思うだろう。まして、わたしたちの「天の父」である神は、何もできないわたしたちを深くあわれんでくださるに違いない。たとえ肉親が子どもを見捨てることがあったとしても、「天の父」である神だけはわたしたちを見捨てることがない。神は、何かができるから愛して下さるのではなく、ただわたしたちが「神の子」だというだけで愛して下さる。マザー・テレサは、そう確信していた。
神の愛は、いまこの瞬間にも天からわたしたちの上に豊かに注がれている。愛されるために必要なのは、心を開いてその愛を受け止めることだけだ。
「こんな自分ではダメだ。愛されるはずがない」という思い込みで固く閉ざされた心を開き、降り注ぐ神の愛を素直に受け止める。神から愛されるためには、ただそれだけでいいのだ。
この世界には、無条件の愛というものが存在する。そのことを信じ、勇気を出して心を開きたい。