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親と子ども

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

 親子といえば、他の何にも増して心の通い合う、この世で一番遠慮のいらない間柄だと思います。

 

 まず、生まれたての赤ちゃんなら、ただひたすら、だっこされ、愛撫されるためだけに生きているわけでしょう。

 ただ、こどもは底知れないほどのバイタリティを持っていて、親も、とても若い場合でなければ、その要求に応えるのに、相当へばるような場合があるのも事実でしょう。私の妻も、息子の夜泣きのあまりのしつこさに心身共に疲れ果ててしまい、いっそ窓から外へ放り出したいと思い詰めたこともあると言っておりました。

 ところが、妻がこんなにつらい思いをしている間、息子の方ではどうやら、そのしつこさの中に、もっと長じてから発揮し始めた音楽の表現の濃淡ともいうべきものを、密かに育んでいたようでもあるのです。

 もちろん、これは親バカ的見方かも知れませんが、ここにも個性は現われていたようだということ、だからただ無理に黙らせればよいというものでも無いということです。

 ただ、こうして私達に精一杯の愛情を注いだ~つもり~で、しつけも相応に、それもキリスト教信仰を交えながら行ってきた~つもり~だったのですが、それでも、息子は高校の時、定石通り、グレたのでした。

 本当に、一生懸命やれば、必ず結果が現れるというものでもなく、うまく行かないことだってあるのですよねー。

 一度だけ、私は息子の顔面を思い切り殴りました。その時の手の痛みと心の寂しさは忘れようがありません。しかし、その後、私達が息子を見ていてやると、高校を卒業後、しばらくして自分で立ち上がり、驚いたことに私達が願っていたような、やさしさのある人間に育ってくれたのでした。本当に神に感謝です。