喜び、悲しみ、苦しみ、怒り、の4つは、 まさに人間感情の4大ファクターと言えそうです。このなかで、ポジティブなのは、喜びだけで、後の3つ、悲しみ、苦しみ、怒りは、いずれも、ネガティブな感情であります。起伏するこの4つの感情が一体となったものが人間感情ですが、喜び、悲しみ、苦しみ、怒りのいずれにも属さない状態はなんと言うのでしょうか。
その回答は、恐らく、「平常心」ということになると思われます。平常心は、理知的で、感情的にならず、冷静、温和で、人には優しく、喜びに満ちたものでありたいと思います。そのためには、どうすれば、よいのか。
まず、自分自身、温厚、明朗であることが絶対必要であります。
そのためには、どうすればよいのでしょうか。
私は、早朝、目覚めの直後、およそ20分間、瞑想を励行しています。この20分という時間は、自分の体験から決めたもので、黙想、瞑想には、長からず、短かからず、20分が最適と考えられます。これより短くても、長くても、好ましくありません。瞑想10分で、クライマックスに達し、その後、静かに下降線をたどります。このようにデリケートな瞑想時間ですが、私は毎朝、厳しく守り、励んでいます。
この20分という時間は、長らく習慣的に瞑想を繰り返していると、時計がなくても、正確に20分を感じとれるようになりました。なんとも不思議なことですが、ありがたい直感であります。
20分の経過をつぶさに体験し、瞑想の快感と喜び、それに新しいエネルギーを得て、希望に満ちた一日のスタートを切ることができるのは、誠にラッキーで、喜ばしいことであります。
パウロがテサロニケの教会に送った第1の手紙5章の16節から18節に有名なみ言葉があります。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全ての事に感謝しなさい。」
喜び、祈り、感謝するというのはこの世の正しい生き方の基本でしょう。哀しみ、苦しみ、あざけり、不平不満などとは無縁な人生が送れるなら、この世の生き方の基本を人々はきっと守ることでしょう。ところが現実は、厳しい状況に向き合うことの方が多く、苦境に立たされては歯を食いしばって乗り越えていかなければならないのです。乗り越えられた時、はじめて喜びが心の底から湧いてきて祈りを捧げ感謝することが出来ます。
ところがパウロは手紙の中で「いつも、絶えず、すべての事」と言うのですから、よほど強い心の持ち主で 辛い苦しい思いをしていても今が過ぎ去れば必ず喜びの時が来ると自分自身に言い聞かせなければ難しいでしょう。
「いつも、絶えず、すべて」という3つの言葉を「継続」という一言に置き換えてみましょう。喜びを継続するとは笑顔を絶やさないこと、達成感や成功の記憶を持続させる事です。どんなに小さな事も喜びに繋がることに感謝し、失敗や自分自身の反省事項を素直に認め、悔い改めと感謝の祈りを日々捧げます。自分の誕生、成長し現在がある喜び、家族や仲間がいる喜び、仕事など社会に必要とされる喜び、明日がある喜び、こうして喜びを数え上げると、おのずと感謝の念が沸き起こります。
感謝は創り主に向けられ祈りとなります。こうして喜びこそが信仰の種になるのです。パウロは「いつも喜んでいなさい。祈り、感謝」に続けて「これこそ神があなたがたに望んでおられることです。」と述べています。