わたし達のいのちの営みは「食べること」から始まります。
心臓も脳も、胃や腸も全身を巡る血管も、食事を摂り、必要な栄養をからだにとり込まなくては働けません。
でもわたし達はいちいちそんなことを考えて食事をしたりしませんね。
おなかがすいた・・・さあ、ごはんにしましょう。
どこにいても、なにをしていてもちゃんとからだは教えてくれます。三度のごはんを忘れるほどなにかに夢中になっている、ということがあるとしても。
3度のごはん、あたりまえのことです。でもこの、「あたりまえ」が空腹をみたし、舌を喜ばせるだけでなく、心を、家庭を、人づきあいをどれほど豊かにしてくれるでしょう。
「こんど一緒にごはんたべましょうね」もご挨拶のひとつ。気のおけない友達や仲間とごはんを食べるのは無上のたのしみです。
それにこの「ごはん」という日本語には「食事」とはまたひと味違ったニュアンスがありますね。なにかあたたかく優しいひびきが。外国語にはぴったりくる訳語がみつかりません。
そしてわたし達ひとりひとりに、ごはんにまつわるストーリーがあるのではないでしょうか。
戦争っ子のわたしには防空壕で食べた代用食のさつまいも。これもご馳走でした。あるいは田舎のおばあちゃんのおはぎやお芋の煮っころがしは最高、などというふうに。
イエスさまもごはんを大切にしてくださいました。5000人の群衆にパンと魚をふるまわれた奇蹟。そして極めつきは「最後の晩餐」。
大好きなごはん。生きてゆくのにだいじなごはん。
心をこめて「いただきます!」