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よろこび

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

 正直に申し上げると、歳を重ねるにしたがって、単純に「よろこぶ」ことが少なくなってきているように感じています。若い頃は、あらゆる出来事に対して、一喜一憂していたようにも感じます。では、「よろこび」は私の内からなくなってしまったのでしょうか。

 躍り上がるような身体表現を伴う「よろこび」は少なくなったかもしれません。ところが、静かではありますが、心の底から浮かび上がるような、確信に満ちた「よろこび」のうちにあるように感じるのです。

 聖書は伝えます。「そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。』」(ルカ 10.21)

 イエスご自身の「よろこび」は、神さまの霊に満たされたものだったようです。学識や努力によって得られた知識が必要とされるのではなく、ただ神さまだけに頼る幼子のような心を持った人たちに、神さまの救い、神さまのお計らいの到来が告げ知らされていることに、イエスご自身は「よろこんで」おられるのです。

 この「よろこび」は、誰からも奪い取られることはありません。神さまの救いの約束に心を向ける人たちにとって、「よろこび」は、いつまでも続くからです。ちょうど寒い冬が過ぎて、木々が芽吹き始めた様子から、自然のよみがえりを「よろこぶ」ように、神さまの救いの出来事は、私たちの中に、「よろこび」の種をしっかりと蒔いていくからです。

 私たちに与えられている救いの「よろこび」の種をしっかりと持ち続けたいと思います。決して消えることのない「よろこび」の種を。