カタンと郵便受けから音がした。姪からの手紙だった。封筒を開けると、詩が綴られたカード、コーヒー1回分、そして短い手紙が入っていた。台所で、香ばしいコーヒーにお湯をそそぎ、カードを読んだ。
太陽は 自分が照らしている畑が
みじめだからといって 失望することがあろうか
まず 太陽を愛しなさい
そうすれば あなたは すべてを
幻影も 失望も感じることなく
愛せるだろう......。
最後に作者名が、ギュスターヴ・ティボンと小さく書いてあったが、この人のことを、私は何も知らない。
調べると農民哲学者で、ノーベル賞候補に4回なっている。
このティボンのぶどう園で1カ月働き友達になった、シモーヌ・ヴェイユという哲学者がいた。その後、彼女はニューヨークに渡り、そこからロンドンへ。仕事の傍ら原稿を書き、肺結核と衰弱のためサナトリウムに入り、34歳で死ぬ。シモーヌは原稿のいくつかを、信頼するティボンにあずけていた。シモーヌの死後、ティボンが彼女の原稿を出版したので、私たちはシモーヌの清冽な文の恩恵にあずかっている。
さて、このカードを送ってくれた姪が生後2カ月だった頃、私が抱っこさせてもらったことがある。そばにいた私の母が、「あなたも幸せになれるといいねえ」と言った。なぜか私は、急に悲しくなり涙があふれた。するとこの赤ん坊は、小さな太陽のように何度もほほえんだのだ。
農業をしながら作家活動をしたティボンのカードを、私はいま、時々見つめている。「太陽は 自分が照らしている畑が みじめだからといって 失望することがあろうか」。
太陽はイエス・キリスト。貧しい者にとってのよろこびの源である。