昨年の誕生日は、一日の出来事すべてが神さまのプレゼントのように感じた。 まず、朝早く友人から、私が書いた本の感想が送られてきた。
「私たちはみな神さまに愛されている。神に望まれたから存在する尊いいのちだ」という部分に感動し、胸が温かくなったという。自分の存在価値を見いだしにくい10代のときにこのことを聞いていたらどんなに救われただろう、と書いてあった。彼女は私のバースデーを知らずにメールした。神さまの粋な計らい、朝一番のプレゼント。
それから職場に行き、先生と短い話をした後、リンゴを一ついただいた。これもバースデープレゼント。午後、大きな手帳を私にくださった人がいた。思わず「今日は私の誕生日なんです!」と言うと、おめでとう、おめでとう、と喜んでくれた。
家に帰ると夫がワインとチーズと美味しいケーキを用意していた。今年はお花がなくてごめんね、と優しい。これは本当のバースデープレゼント。
まるでしんしんと降り続く雪のように、その日はとにかく何もかもが神さまからのプレゼントに思えて嬉しくてニコニコしていた。
朝は目覚めるとすぐに「今日は私のバースデーだわ!」と楽しい気持ちで一日が始まった。
もしも毎朝「私は神さまに愛されて生まれた。今日、神さまは私にどんなプレゼントをくださるだろう、何を私に語りかけてくださるかしら」と期待して一日を始めるなら、人生がまるごと大きなプレゼントになるのではないか。
明日も神さまが私に用意しているプレゼントに期待して一日を始めたくなった。