私は今年70歳を迎えます。音楽と共に毎日元気で過ごせているのは、幼い時から、慈しみの光に包まれた多くの真心に出会ってきたからだと思います。その真心は私の「よろこび」となり、順境の時も逆境の時も毎日の心の支えになっています。
私が、アシジの聖フランシスコを洗礼名にいただいて信者になったのは、23歳の時ですが、幼い時から、教会と祈りの音楽が常に身近にあったので、自然に導かれました。
昨年の11月に教皇フランシスコが来日され、広島で祈りを捧げられたことがまだ記憶に新しいそんな時、私は、その広島にある三篠教会を初めて訪れてミサに与りました。ミサのなかで聖歌を歌っている時、普段とは違う何とも言えない心地よさを感じました。祈りと聖歌がひとつになった瞬間でした。
その時の伴奏に使われていたオルガンは、1981年に教皇ヨハネ・パウロ二世が広島を訪れられたのを記念して購入された、足踏み式のリードオルガンでした。教会のオルガンといえば、パイプオルガンか電気オルガンが主流ですが、そのリードオルガンは、聖歌を歌う人々をあたたかく包み込む、素晴らしい音色でした。
そしてその音色は、私が17歳の時に初めて訪れた、広島の世界平和記念聖堂の、ステンドグラスから差し込む光の中で聞いた、あのパイプオルガンの音色と同じ音色だったのです。やがて、あの時の感動とよろこびが私の心を満たし、ひと時の幸せを感じたことでした。
平和を願い続ける広島という場所で、祈りの音楽の勉強を始めた頃の初心を忘れずに、「与えられるよろこび」から「与えるよろこび」の人生を送りたいと思います。