希望はここにある

三宮 麻由子

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 英国の詩人が、人生において最大の栄光は、失敗しないことではなく、倒れても立ち直ることだと言ったそうです。それで思い出すのが、十字架から復活までのイエスの歩みです。

 失敗しないことが栄光なら、イエスの死はまさしく大失敗に見えます。何しろ、たくさんの弟子を抱えていたのに、最後はみんな離れていき、自分を弁護することもなくあえなく死刑になってしまったのですから。

 ところがそのイエスは3日後に復活して、2000年後も私たちと共におられるというから驚きです。詩人の定義に照らせば、この立ち直りは最大の栄光となるわけです。

 もちろん、この教えにつまずく人も多く、私自身もそうでした。しかしいつしか、科学との矛盾を承知で復活の意味を考えるようになってしまいました。

 私は4歳で光を失いました。それは私の失敗ではないけれど、希望を失うには充分な苦しみでした。それでも、なぜだか希望が心に生まれ、それに向かって突っ走るうちに大人になり、社会のなかで働いていました。その課程で、これまたなぜか、イエスの姿がちらちらと見え隠れしたのです。

 無実の罪で死刑にされ、それでも人類を救おうとしたイエス。そんな人物が信じる人の心に復活するのは、むしろ自然なのかもしれません。イエスの復活は希望の復活であり、生きる指針の普遍化なのでしょう。だから私が希望を失いそうになるたびに、イエスはひょっこり現れて、「落ち込みなさんな、一緒に行こうや」と手を取ってくださったのかもしれません。

 どん底に倒れても、自分の殻から飛び出して希望の光に触れるとき、希望は私たち自身の内面から生まれるのだと思います。イエスとの出会いは、多くの人にとってそのきっかけになっているように私には思えるのです。

希望はここにある

高見 三明 大司教

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 岩手県陸前高田の7万本の松原は、2011年3月111日の大津波で全滅し、奇跡的に1本だけ残りました。この一本松は、復興のシンボルとして地元はもちろん、全国の人々の期待と注目を浴びました。「強く生きろ!」と被災者たちを励ます声でした。しかし、海水で根が腐ったため「再生不可能」と判断され、1年数か月後に伐採され、東日本大震災の証しとして保存されることになりました。

 ところで、大津波の3カ月後に、赤茶色に変色した葉の上から、新しい葉が息吹いているのが確認されたそうです。実に、この一本松は、死に絶えましたが、人々に生きる希望を与え続けているのです。

 どんないのちも、生き延びようとします。わたしたちにも生き続けたいという強い欲求があります。それは、神さまが人間を不滅な者として創造されたからです。しかも、わたしたちは、生存本能を持っているだけではなく、死んでもよみがえることが可能なのです。それを証明してくれたのがイエスです。イエスは、亡くなった人を何人もよみがえらせましたが、最後には、十字架の上で殺され、3日後に自らよみがえったのです。

 イエスの復活は、人が死んだ後、単に生き続けるということではなく、全く特別なからだによみがえって、永遠に神と共に生き続けることを保証するのです。だから、わたしたちは、死んでも、必ずよみがえって永遠に生き続けるという希望を持つことができます。

 しかし、イエスの復活は、からだのよみがえりを保証するだけではなく、赦し合い、和解、愛し合うことによる新しい生き方を示しています。つまり、皆が自分しか愛そうとしない我欲に死に、互いに相手を自分と同じように大切にし、共に強いつながりを持って生きるよう招いています。


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