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よろこび

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 「生きるよろこび」を心底感じたいけれども、何故、私は感じないのでしょうか?という質問をたびたび受けます。この悩みは私自身が時々陥る悩みです。

 さて、老いも若きも、どんな環境でも生身の人間である以上、この虚しい気分になります。美しい音楽や素晴らしい映画、そして絵画や美しい薔薇の香りなど、日常生活で体験する視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感からはよろこびがあるだけに、この人生での虚しさは限りなく寂しいものです。これが人間の現実の姿です。

 人生の旅路で時々体験するこの暗い感情は、本来は人々を幸せにする為のシグナルと言われています。暗い感情の日々を長期間送っていますと、本当に人は元気がなくなります。このような心の停滞に陥った場合、当然、「よろこび」の状態から遠く離れ、不安感や怒り、不満、退屈の日々を送り、挙句の果てに、何のためにこんな人生を自分は送らねばならないのだろう、と深刻に悩みます。

 これが人生での難問の一つのようです。ここを乗り越えることは、残酷なようですが、本人にしか出来ません。特に現代の日本社会は高齢化に向かい、認知症等の問題が山積しています。それだけにこの「よろこび」という感情は、とても大切な課題です。

 愛である全知全能の神様が何故、このような精神状態に陥っている人々を黙って視ておられるのでしょうか?

 喜びを感じる方法という本は山ほどありますが、中々、本の通りにはいきません。愛の孤独感が最大の原因ですが、周囲の人々との親密性を見直し、天にむかって「この虚しさは何故でしょう、あなたの愛を感じさせて下さい」と叫びますと、案外、インスピレーションのような答えがすぐかえってくるようです。