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その時『わたし』は

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 時の流れを早いと感じるか、遅いと感じるかは、わたしたちの心にかかっている。楽しい仲間たちと過ごす時間はあっという間に過ぎ去り、病の痛みに耐えながら過ごす時間はいつまでも終わらないように思える。時の流れと心のあいだには相関関係があるのだ。

 早い遅いだけではない。時間には、密度の濃淡があるようにも感じられる。単純な作業を黙々とこなしているような時間は、何時間過ごしたとしても心に何も残らない。それに対して、大切な誰かと真剣に話して過ごした時間は、たとえ短い時間でもずっしり重く心に残り、ときには人生を変えてしまうことさえある。感覚を研ぎ澄まして世界と全身で向かい合うとき、心を隅々まで活発に動かすとき、時間の密度はどんどん上がってゆく。

 祈りの中で神さまと向かい合うときにも、同じことが起こる。聖堂で心を鎮め、他のすべてのことを忘れてただ聖書の言葉と向かい合うとき、時間の密度はどんどん上がってゆく。天から降り注ぐ恵みによって心が満たされるとき、時間もやはり何ものかによって濃密に満たされてゆく。時の流れの中に、神が宿ると言ってもいいかもしれない。

 そのような時間を過ごした後には、心を覆っていた曇りがすっきり取り払われ、全身が力で満たされているのを感じる。何があったのか尋ねられても、うまく答えることはできない。ただ、濃密な時間の流れの中で神と共に過ごした。神が時の流れを満たし、わたしの心を満たして通り過ぎて行った。そんな感覚だ。そんな時間を過ごしたあとには、決まって人生が大きく動き始める。時間の流れの中で、わたし自身が大きく変えられるからだろう。心を研ぎ澄まし、神が宿る時の到来を待ちたい。