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その時『わたし』は

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

 夫の母と姉を教会に初めて連れて行ったのは8月15日のミサだった。最も大きな聖母マリアのお祝い日だ。

 その頃の私はキリストについて言葉で伝えることはしなかった。母も姉も熱心な仏教徒だったからだ。どうしてこの日に限って教会に誘ったのか自分でも不思議だ。ただ、家族が神さまを知って幸せになれるようにと夫と一緒に、ロザリオを何年も祈っていたという背景はある。ロザリオは、神が聖母マリアに与えた偉大な恵みを讃える祈りで、悪の力を打ち砕く力強いものだ。

 さて、その後、母は私たちにとても会いたくなった日に、教会に行ってみようと思い立った。教会に行けば私たちに会えるような気がしたという。

 母はそれから1年間毎週一人で教会に通い続けた。その様子を見ていた神父様は、3回ほど勉強会をしただけで母に洗礼を授けてくださった。

 わずかなお祈りしか知らない母だったが、2000年前にイエス・キリストさまが私たちのために十字架上で罪を背負ってくださったことを信じた。

 母は明るくなった。教会に通うようになってから救われたと感じると言う。その後もさまざまな試練はあったが、祈ると必ず乗り越えることができた。

 私たちは一瞬ごとに、さまざまな選択をしているが、誰かを教会に連れて行くという選択は、その方の人生を変えると思う。その先は神さまに任せるといい。

 私たちはまさか母がたった一人で1年間も教会に通うなんて想像もしなかった。それは、神さまが母の心を動かしたとしか言いようがない。

 

 今では、お正月に会うと一緒に聖書の話をしたり、ロザリオを祈ったり、神さまを感じて嬉しかった出来事を分かち合えるのでとても楽しい。本当の親子になれた気がする。