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その時『わたし』は

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ

 かつて非常勤講師としてある女子高校の教壇に立ったことがあります。今でも強烈に覚えている生徒のことを思い出します。

 授業中は足を組んで横を向き、頬杖をついて仏頂面。わたしが彼女を無視して授業を進めると、やたらと小刻みに姿勢を変えます。それでも、無視し続けると、業を煮やしたのか、ある日やってきてこう言いました。「わたしは先生の話聞いていないんだけど」と。「分かっていましたよ」と答えると、寂しそうな顔をするんです。

 わたしにとっては転がり込んできたいい機会だったので、彼女とじっくり話すことにしました。要するに、彼女はたくさんの教師からいつも無視され続けてきたんですね。教師の注目を引こうとして、やたら体を動かしていたというわけです。彼女は「さびしがり屋さん」だったのです。なのに、他の人たちは、どうしようもない怠け者、邪魔者扱いしていたんですね。そうしたことに対する彼女なりの反発もあって、授業中の態度になっていたんです。

 そこでわたしは言いました。「今日の放課後、卓球しようか」と。彼女は卓球部だったのです。わたしも以前は卓球大好き人間でしたので、どこまで現役高校生に通用するか、いい機会でもありました。

 何よりも、わたしが彼女と同じ体験ができたことが、彼女を変えましたね。また、いい笑顔をしているんですよ。「その顔その顔」と言って、自分の持ち味を分かってほしかったのです。それからの授業中では、以前のことはなくなりました。

 人にはみな、「時」があります。あの時「卓球しようか」と言わなかったら、わたしは後悔していたかもしれません。

 神の計らいを感じた出会いでした。