「じつはこの頃もの忘れがひどくなってね。脳のMRIというのを初めて体験したんですよ。結果は問題なしでしたけれど」と、Aさんが話したのは教会のあるグループのわかちあいのときでした。
「家の中でも、2階に上がっては、なにを取りに来たんだっけ?なんですもの。一日中探し物ばかりしているし、認知症に入っていないかと、もの忘れ外来を訪ねたのです」
「そんなことわたし達も同じ」と皆さんがた。「勇気ありますね~よく行ったわね」と口々に感心されるのです。
ん?どうしてもの忘れ外来に行くことが勇気ある行動なのですか?
「だって怖いもの」「そうそう。とてもそんなことできない・・」
でも・・怖いからこそ行くんですよね。アルツハイマーが始まっていたとしたら、早く見つけて早期に進行を遅くする薬をのんで、完全に治らないにしても、ゆっくりゆるゆると平均寿命までいけたらオンの字ではないでしょうか?
Aさんは、「自分の脳がまだ健在でしばらくは使用に耐えるものかどうか、知りたかっただけです」と言われます。
たとえ認知症であっても、ありのままの現実を知りたかったーーしかし、そう断定されたらショックのあまり呆然としてしまうでしょう。なかなか立ち直れないかもしれません。やっぱり怖い。
そして怖れがあるからこそ、勇気が奮い立たせられるのでしょう。怖れと勇気はセットです。
だからちょっとくらいおかしくなっても大丈夫。いつもともにいてくださる方が、きっとすくいあげて下さいますから。
つくづくわたし達の身の周りに起きている出来事のなかに、あるいは、ふとした友人達との会話のなかにも、主のみことばが満ち満ちているのだなあと思わずにはいられません。