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歓迎する

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

 聖書によると、私達人間を「あなた、お前」と呼びかけることができる、人格を備えたものとしてお作りになり、その恵みを想う存分楽しみ、感謝出来るように、楽園に置いて下さった方こそ、私達の主である神様でした。

 そして神は人間に、空、地上、海中の全てのものを支配せよと言われ、「見よ、それは極めて良かった」とご覧になったと記されています。(創世記1・21)

 この、人格のある者だから、神が私達に語りかけることが出来、私達がその神に応えることも出来るわけです。私達一人ひとりは、本当にちっぽけな、取るに足りないような存在であるに違いないので、その私達に話しかけて下さったり、天地を支配させて下さるなどと言う事は、いくら何でも、度外れた厚遇、歓待ではないでしょうか。

   

 しかし、この並外れた神の歓待、歓迎ぶりは、本来、人格的な交わりというものが、どれほど嬉しいものであるかを示していると思うのです。神様はたかが私達ごとき小さな者と向き合うのが、それはもう嬉しくて嬉しくてたまらないのです。

 そして、私達がこのような神の想いに応えなかった、神を裏切って罪を犯した後でさえ、神は何の罪も無いイエス・キリストに私達の全ての罪を肩代わりさせ、その死によって私達を永遠の罰から救って下さいました。これも神の歓迎なのです。

 さて、私達はこれほどの神にどう応じるべきでしょうか。

 イエス様は「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と仰っています。(マタイ25・40)

 私のもとを訪れる神、つまり、小さな者や困窮した人の姿をとって現れる神を心をこめて歓迎すべきでしょう。