都会に住んでいると、住宅の多さと密集度に驚くことがよくある。そこで生まれる出会いもまた数え切れないほどだろう。
小学生の時に、母親が再婚して新しい父親がやって来た、という知人がいる。新しい父親は悪い人ではなかったが、家庭のルールや雰囲気も変わってしまい、母親は何だか遠い人になったように感じられた。そして彼にとって悲しかったのは、実の父親が丹精した庭を、新しい父親がすっかり変えてしまったことだった。
彼は新しい家庭と父親を「受け入れる」のがとても難しかったそうである。彼にとっては、子ども時代を急に卒業させられたようなものだったろう。母親の気持ちを思いやったり、父親の思い出の庭を心の中だけのものにしたり、大人でも難しいことをこなさなければならなかった。
人生の大きな変化は、望む時に起こるとは限らない。新しいお父さんが欲しいなあ、と願うようになる前に、お父さんは来てしまう。人生に訪れて来るものを、私たちは選べないのである。
もし何かを受け入れなければならない時は、ただ「受け入れる」のではなく「歓迎する」という気持ちで臨みたいと思う。一見、災難に思えるものや不本意なことを歓迎するなど不可能のようだが、まずはそう思うだけで、不思議と心が奮い立つ。
知人は成人後もずっと両親と仲が良かった。彼も両親も両方が努力をし、時と共に本当の愛情に変わっていったのではないだろうか。
ごく普通の人々である彼らのことを思い出す度、私は人に対する敬意を新たにし、また、人生に訪れるものを、勇気を持って受け入れることの偉大さを思う。